日ユ同祖論(にちゆどうそろん)という言葉をご存知だろうか?
知っている人は知っているけど、興味ない人にはちんぷんかんぷん。
日ユ同祖論とは、簡単に言ってしまうと…
日本人とユダヤ人(古代イスラエル人)、祖先を辿れば、つながっているという説だ。
ここ諏訪の地は、日ユ同祖論に根拠を与える事柄が多く、
日ユ同祖論者の聖地とも呼ばれている場所だ。
例えば、諏訪大社の御神体は前宮の後ろにある守屋山。
これはエルサレムの聖なる山、マウント・モリヤと同じ名前。
諏訪大社前宮の十間廊(じっけんろう)という建物は、
古代ユダヤ移動式神殿の「幕屋(まくや)」と同じ大きさ。
大きさだけでなく、双方とも真東を入り口とし、
西の奥に、幕屋は契約の箱「アーク」が置かれ、
十間廊は「お神輿」が置かれるというところも似ている。
そして動かぬ証拠と言われているのが諏訪大社前宮の神事「御頭祭(おんとうさい)」。
これは旧約聖書の創世記に記されているアブラハムの逸話と非常に似ている。
旧約聖書では、まず、アブラハムが神からこう命じられる。
「息子イサクを神の生贄として捧げよ」と。
忠実なアブラハムはモリヤの山に息子を連れていき、
愛する我が子を殺めようと息子に刃物を振りかざす。
その瞬間、天から神の御使いが現れてその行為を止める。
アブラハムは神から信仰の強さを試され、その強さが証明されたというわけ。
そして、息子イサクの代わりに雄羊を捧げたという結末。
かたや江戸時代の御頭祭では、
ひとりの少年を柱に縛り付けるところから始まる。
神官が少年の上に刃を振り上げる仕草をする。
ちょうどその時、別の男が現れて、神官の動作を止め、
少年は解放され、代わりに鹿の頭やウサギが捧げられる。
現代の御頭祭では、この少年を生贄にしようという部分はなく、
それでも鹿の剥製などを捧げるという儀式は行なっている。
江戸時代までの御頭祭は、まさに、イサクの燔祭とそっくりではないか。
日本の神社でこのような、人身御供のような血腥い儀式を行なってきたとは、
それ自体が驚きであるし、知らない人はまったく知らないだろうな。
ほかにも諏訪湖の語源とか御神渡りの意味とか、
諏訪とイスラエルを結びつける逸話には事欠かない。
あれこれ聞いたり、調べたりしてみると、
まぁ、これだけ証拠があれば、
何らかのつながりはあっただろうと思うのが自然だ。
エルサレムから東へ東へと逃れたイスラエルの支族が、
日本までたどり着いたとしても全然不思議ではない。
仏教の伝来のように、はっきりとしていれば、
話は早いのだが、この古代イスラエルとの関係は、
すべてが神話の世界からひもとかなければならず、
なかなか、一筋縄ではいかない。それが、また面白いのである。
この話題、奥がとっても深いのでまた書いていきたいと思ってる。
記事:毒嶋 改蔵